お知らせ

千手観音二十八部衆図像・阿弥陀如来立像 修繕修復事業について

経緯

千手観音二十八部衆図像について

◆ 令和6年7月
 奈良県文化財課より千手観音二十八部衆図像(以下、本件絵画という)の調査依頼を受ける。
 本件絵画の所在を確認したところ、桐箱などには入っていない状態で念佛院倉庫から見つかる。
◆ 令和6年9月6日
 県文化財課による本件絵画の第1回調査(目視による)が行われる。
◆ 令和6年10月11日
 県文化財課による本件絵画の第2回調査が行われる。
赤外線を用い、目視では確認できない部分まで調査が行われた。
 さらに、念佛院所蔵のその他の絵画についても調査をしてもらう(以下、悉皆調査という)。
◆ 令和6年10月31日
 県文化財課による悉皆調査の続きが行われる。
 また、本件絵画を鎌倉時代末期の作ではないかとして奈良県指定有形文化財に指定してよいかとの打診を受け、ありがたい話として了承する。
 ただ、同時に、本件絵画の傷みが激しく、修繕が必要との指摘を受ける。
◆ 令和6年12月16日
 奈良県文化財保護審議会による現地調査が行われる。
 2名の審議委員も本件絵画が鎌倉時代の作であることに異論はなかった。
◆ 令和7年1月21日
 県文化財保護審議会が開催され、県より本件絵画を県指定有形文化財に指定してもよいか諮問される。
◆ 令和7年2月17日
 県文化財保護審議会より、本件絵画を県指定有形文化財に指定するよう答申を受ける。
◆ 令和7年3月末頃
 本件絵画が県指定有形文化財に指定された旨、奈良県公報による告示予定。

阿弥陀如来立像について

◆ 令和6年10月頃
 上記本件絵画の調査、悉皆調査の進む中で、私が従前より気になっていた阿弥陀如来立像(以下、本件仏像という)の現状を確認してもらった。
 本件仏像は、念佛院の元の本尊で、平安時代恵心僧都作との伝で念佛堂に祀られている。ただ、当念佛堂は雨漏りや壁の崩落など建物の状態も悪く、祀られている仏像も早急に避難してもらう必要がある。
◆ 令和7年2月12日
 県文化財課、美術院の職員による本件仏像の現地調査が行われる。
 改めて、本件仏像の念佛堂からの避難と修復が急務であるとの指摘を受ける。
◆ 令和7年4月上旬
 本件仏像、その他の仏像を念佛堂から搬出する予定。

当事業に対する私の思い

 私が念佛院の住職に任ぜられたのが平成27年2月20日。以来10年にわたり当院を守ってきた。というよりも、何ほどのことも為せぬまま日々の雑務に追われて過ごしてきたという方が正しいだろう。

 子どもの頃から書や画、音楽など芸術からは遠く離れた世界で生活してきた私が、僧侶となって必要に迫られ書道にたずさわるようになった。まさか書道を教える立場になろうとは夢にも思っていなかった。人前で声明(宗教音楽)を唱えるようにもなった。仏画も然りである。

 このように、私自身が多少芸術に目を向けるようになった折りも折り、こより画(ティッシュペーパーの端をつまんで筆として絵を画くのだが、なかなか筆先が思うように動かず、それが却って味わい深い絵に仕上がるというもの)の奉納をしていただいた。数名による合作でお地蔵さまを描いた作品だが、それぞれの人が楽しんで画いておられる姿が想像できるほのぼのとした大作で、お寺にぴったりである。

 また、先日美術の先生から、絵画の歴史としては、カメラの発明を境として画家の姿勢が大きく変わったのだというようなお話を聞く機会があった。写実性の点で画家は写真に勝てないとなり、大きく方向転換せざるを得なくなったのだとか。どちらかというと、芸術は世の中の動きとは一線を画して技術を追究するというイメージがあったが、時代の制約を受けながら発展してきているのだと教えていただいた。今後も、AIなどの影響で芸術の世界も大きく変動していくのだろう。

 さらに、ちょうど今回念佛院所蔵(所蔵とは名ばかりで、恥ずかしながら念佛院の倉庫に放置されていた)の千手観音二十八部衆図像が、鎌倉時代の作として文化財的価値が高いとの評価から、奈良県指定有形文化財への指定を受けるという栄誉を頂戴した。同じく放ったらかしになっていた、念佛院の元の本尊である阿弥陀如来立像も、平安時代の作として文化財的価値が非常に高いことは疑いようがない。

 今後芸術の世界がどのように動いていくかは、私などには到底想像できない。が、AIによる社会の発展が今後どのようなものとなろうとも、過去の文化財を創り出すことはできないはずである。だからこそ、これまでの反省も込めて、次の世代・将来の世代により良い状態で文化財を残していくことが私の使命だと考えるようになった。

 花瓶の水を一滴残らず次の花瓶に注いでいく。私が真言宗の僧侶となる際に、僧侶の務めとして教えてもらったことである。

 平安や鎌倉時代の先人が残してくれた作品(仏さまを作品と呼ぶことに抵抗はあるが)をそのまま後世に残す。その一歩をようやく踏み出したところである。どうかこの歩みが二歩、三歩・・・と止まることのないよう、見守っていただきたい。